研究者総覧

伊藤 博之 イトウ ヒロユキ

所属部署教育方法・生徒指導マネジメントコース
職名准教授
メールアドレス
ホームページURL
生年月日
Last Updated :2025/05/16

研究者情報

学位

  • 教育学修士

J-Global ID

プロフィール

  • 「新しい教育内容」(情報教育・メディア教育.性教育など.ごく近年になって.今までの伝統的な教育内容につけ加えて学校教育で扱うべきではないかと考えられるようになって来ている教育内容のこと)のカリキュラム化のための原理的・実践的検討と具体案作りを、学生・院生と共同して行っていきたい。

研究分野

  • 人文・社会 / 社会学 / 教育課程論
  • 人文・社会 / 教育学 / 教育方法学

経歴

  • 2014年04月 - 現在  兵庫教育大学大学院学校教育研究科准教授
  • 2005年04月  兵庫教育大学大学院学校教育研究科 講師Graduate School of Education
  • 2004年04月  兵庫教育大学学校教育学部 講師Faculty of School Education
  • 1992年01月  兵庫教育大学学校教育学部 助手Faculty of School Education

学歴

  •         - 1991年12月   京都大学   大学院教育研究科
  •         - 1989年03月   京都大学
  •         - 1989年03月   京都大学   大学院教育学研究科
  •         - 1985年03月   京都大学   教育学部

所属学協会

  • 日本教師教育学会   

研究活動情報

論文

書籍

講演・口頭発表等

共同研究・競争的資金等の研究課題

  • 日本学術振興会:科学研究費助成事業
    研究期間 : 2022年04月 -2025年03月 
    代表者 : 宮田 佳緒里; 溝邊 和成; 伊藤 博之; 山中 一英; 別惣 淳二; 松田 充; 奥村 好美
  • 日本学術振興会:科学研究費助成事業
    研究期間 : 2016年04月 -2019年03月 
    代表者 : 伊藤 博之; 永田 智子; 宮田 佳緒里; 溝邊 和成; 奥村 好美; 森山 潤; 長澤 憲保; 吉水 裕也; 松本 伸示; 黒岩 督; 米田 豊; 吉田 和志; 山内 敏男; 中村 正則; 大西 義則
     
    教職大学院においては、現職院生(教職に就きつつ派遣等で学んでいる大学院生)と学卒院生(教職に就く前に大学院で学んでいる院生)という教職経験や年齢等の異なる院生がともに学んでいる。この2つの集団を分けて教育するよりも、シナジー効果(相互の集団に働く相乗効果)が発揮できるように協働的に教育した方が効果的に授業力等を向上させられることが実証的に明らかになった。その際、各科目内で協働的な学びを仕組むことが大前提として必要である。(1年目の成果)さらに、関連する科目の間で意図的に連携を行うことでより成果が上がることが示された。(2・3年目の成果)
  • 日本学術振興会:科学研究費助成事業
    研究期間 : 2001年 -2003年 
    代表者 : 宮本 健市郎; 金丸 晃二; 名須川 知子; 杉尾 宏; 伊藤 博之; 西井 麻美; 田中 亨胤
     
    19世紀以後のアメリカ、イギリス、日本、ブラジルの各国の授業時間割の実態を比較して、近代社会に共通する時問割編成原理を探った。英米では、19世紀末までに、授業の能率を上げるために、小学校の時間割が整備され、厳密になった。そのことは、子どもと教師の時間を監視する学校システムができあがったことを意味していた。20世紀になって、進歩主義教育運動が盛り上がると、時間割はしだいに柔軟な時間割に変化していった。その原因としては、子どもの自然な発達やリズムの重視する心理学が出現したこと、子どもの多様な活動を奨励する経験カリキュラムやプロジェクト・メソッドが多くの学校で実施されたこと、個別活動の時間が確保されるようになったことなどが考えられる。 日本では、幼稚園を見てみると、明治期に、遊戯、唱歌、談話、手技の教科が設定され、時間割が作成された。だが、これは大正期になると「あてがいぶち」保育として厳しく批判され、代わって、幼児の生活リズムを重視した時間割編成が出現した。小学校を見ると、明治期には、一斉授業を行うのに最も都合のよい画一的な時間割が全国に普及していた。これにたいして、大正新教育運動の時期には、木下竹次の奈良女子師範学校附属小学校での合科学習の実践に見られるような、子どもの生活現実を基にした時間割が出現した。 ブラジルでは、1930年以後、国家教育計画が策定されたものの、地域格差、学校間格差が大きく、とりわけ農村と都市では全く状況が異なっている。設備や教員数といった物的条件の制約の中で、いかに授業を有効に進めることが現在も課題となっており、時間割編成もそのための手段となっている。 イギリス、アメリカ、日本の学校に共通しているのは、いずれの国でも19世紀末には、かなり厳密な時間割が普及したものの、20世紀初頭の新教育運動のなかで、柔軟な時間割に基づく教育実践が試みられたことであった。
  • 日本学術振興会:科学研究費助成事業
    研究期間 : 1995年 -1995年 
    代表者 : 伊藤 博之
     
    本研究は、戦前日本の教育学の理論を担ったとされる「講壇教育学」が「教科をどのようなものとして理論化していたのか」について追求する一環として、入澤宗嘉の場合について検討しようとするものである。 この研究を進めるに当たって、(1)全集・選集として纏められていない、散逸しつつある入澤の著作の収集・整理、そうした基礎作業を元にして、(2)入澤の教科論形成の個人史の解明を行う、という手続きを挙げた。その際、一つの視点として(3)(この研究には入る前に個人的に進めていた)篠原助市の場合との比較検討を行うとしていた。 これらに基づいて研究を進めた結果、現状での成果・到達点は以下の通りである。 先に「彼の40冊近くにのぼる著作は(戦災の影響もあって)かなり散逸しており、それを改めて収集・整理すること自身が早急に求められている。」と記したが、実態はまさしくその通りであった。実際、今年度の研究は大部分、上記の(1)の作業に費やされることになり、現段階でもまだその途上である。現在、著作の22冊については古書による実物を、2冊につては複写機による複写物として、収集を終えている。今後、引き続き、この作業を進めて行くが、時間の纏まって取れる年度末に、再度書誌探索、古書購入、複写のために科研費分の出張を設けて収集作業を行う予定である。 収集済の著作についての検討によると、入澤にあっては、篠原助市の考えていた"総合→分化→総合"という過程を辿る教科論とは対照的な教科観を有するようになっていたと考えられる。(収集済の資料数の制限があり、断言は避けねばならないが)彼の場合、必ずしも教科論と言う研究分野を自覚していなかったようであるため、彼の教科観をより具体的に記述するには、田島小学校の実際のカリキュラムを検討の爼上に置く必要もあるようである。

担当経験のある科目

  • 教育方法学演習兵庫教育大学
  • 教育方法学兵庫教育大学
  • 教育課程論兵庫教育大学
  • 学習環境の開発と改善兵庫教育大学
  • 学校カリキュラムのデザイン-開発とその評価-兵庫教育大学
  • 教育評価論兵庫教育大学
  • 教育方法論兵庫教育大学

社会貢献活動

  • 社会貢献活動
    イベント・番組・新聞雑誌名 : 「しつけ(躾)」は誰が担ってきたか

その他のリンク

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